ここ3,4年くらい、歳をとった感覚がない

ここ3,4年くらい、歳をとった感覚がない、と感じる。

もうすぐ28歳になる僕は、体力的にも精神的にも5年前よりかなりタフになった。運動能力は、プールとランニングと自転車でかなり強化されたし、精神面でも、昔より一層多彩な手段を取れるようになり、割とラフに人生を捉え始めてきている1。 一方で顔立ちもまるで変わってなく、割と童顔のままだ。

精神面では、もうちょっと丸くなったり、寛容になったり、いろんな意味で自由になる必要があるかな、と感じる。これは、前向きに捉えるべき目標だ。一方で体力面では、これから老けていく自分が全く想像できない。(シワとか本当にできるの? とか、急に腰とか痛くなるの?とか、息切れするようになるの?とか)
実は、自分だけいくつになっても外見変わらないのではないか?、と一般的な事象に反するようなことを信じ始めて来ている笑

歳をとるとは、どういうことなのだろうか? 身体が徐々に自分の思い通りに動かなくなるということなのだろうか? 頭が時代の流れについていけなることなのだろうか? あるいは、生殖能力が落ちるとか? 25あたりから、自分もそうなるんだな、と思っていたけれど、もうすぐ28になっても全くそんなことは感じない。31になっても34になっても、実はそのままなのでは?と思ってしまう。

妄想しよう。歳をとらないということは、無限に時間が広がっているということだ。そして、出来ることがどんどん増える(と思っている)ので、精神的、体力的な自由度が蓄積されていく。

周りを見渡すと、自分と同世代の人たちが結婚していたり、子育てしていたりで、なんだか浦島太郎の心境に陥った気分である。彼らは、なんだか取り返しのつかないことが起こらないように急いでいるように見える。
なぜ、彼らはそんなに急いでいるのだろうか?やはり、歳をとると出来ることが減ってしまうということを自覚しているから、自分の価値が下がる前に自身をアピールしようとして急いでいるの?

もしかして、「僕」の精神年齢がそのままなんじゃないの?と言われればそうかもしれない。彼らは、お互い助け合うことを人生の中で経験していて、結婚や子育ては、彼らの自己実現のための手段に過ぎないのだ、と。 でも、何が問題で、精神年齢がそのままなのか全然わかっていない。もしかすると、「何が問題なのか」を問うことこそがあまりよろしい選択なのではなく、世の中いろんな意思が働いているのだから、一部の問題に関しては流して手抜きするべき、ということを意識する必要がある? いや、こうやって考えると「問題」を考えることになって、矛盾する。

世の中の同世代の人の動きが、僕の人生のあり方とかを評価し、押し付けがましく羅針盤を提供しているのではないか、というような疑心暗鬼を生じてしまっている。 期が熟する時って人によって違うのではないか。このまま、期が熟する時を待つのが必要なのだろうか。
それとも、自分は将来、取り返しのつかないことをしてしまった、もう過去の自分は取り戻せない。あの時皆のもらった羅針盤に従っておけばよかったんだ、っていう絶望的な気持ちになるのではないか。

いや、評価しているのは、多分自分自身っぽい気がする。うーん、なんだか難しい。時が経たないと、なんともわからないという感じがして、じれったい。


  1. 後述のポエムから、このことは嘘かもしれない。