僕と相性の悪い人
僕は割とシステム思考な人間だと、自身で思っている。そう思っている理由は、ある問題が起こった時にどうにかして、解決する方法を探しに行くからだ1。人によっては、その問題に対するアクションとして、
- 他の人にお話しして、共感してもらう(女性がよくとる手段だと思う。シェアハウスに住んでいて、女性はやっぱり他の人に共感してもらいたいという願望があるのだなぁ、と結構感じる。)
- 我慢する(これは、結構真面目というか、素直な人が良くとりがちなアクション。昔の自分もかなりこっち寄りだった。)
- 悪口を言ったり、仕返しをしたりする(この手のタイプの人間を僕はあまり知らない)
とかがあると思う。
大学院時代くらいまでは、一人で抱え込んでしまって、2,3週間引きこもることも何回かあったが、ここ1,2年で、他の手段も取れるようになった2。他の手段とは、一人で抱え込まず、自分で解決しにくい問題があれば、事情をわかってもらえそうな人に相談することである。僕の場合は、同性異性に関わらず、いろんな人に、解決の糸口が見つかるまで相談しに行く。その中で、自分と相性が悪かった人のアドバイスのパターンを発見した3。
それは、「集団の和を乱さないように、自分の思考や行動を変えてみよう」だ。
もちろん、これは協調性の薄い僕に対するポジティブな意味合いを含んでいるに違いない。正直、協調性の薄いというのは、割と自覚しているし(今住んでいるシェアハウスでも一度隣人に言われたことがある。中学生の時は、担任に「つっけんどんなところがある」と言われた。)、他の人と議論するのが結構好きなので、棘のある(というか鋭い)指摘をしたために、発言に気をつけて、と注意されることも、前職でままあった4。 しかし、このことを考慮しても、このアドバイスは僕にとってほとんど有益なものにならなかった。理由は3つ。
「集団の和を乱さないように」というのは、多数派の意見だから従うように、ということをある一定の強制力を伴った形で、含んでいるように思えるからだ。
一見、民主主義とかも多数決5だから問題ないんじゃないの、って思うんだけど、実際には例えば、大企業だと、上層部の意見、現場よりだと、ベテラン社員の経験や意見、あるコミュニティだと、その場に長くいる人や年配の意見が、そのまま多数決の意見であるとのロジックに往々にしてすりかえられる。極端にいうと、「他の人の和を乱さないように」というのは、実は多数決でもなんでもなく、発言した当人の居心地のよい行動を変えたくないという欲求から来ているのでは、とさえ感じる。「集団の和を乱さないように」というのは、パワーワードのように思えるからだ。
正直自分の首を絞める発言なのでは、と思えてしまう。例えば、ブラック企業に籍を置いていたとして、明らかに自身に対して理不尽な行為が行われた場合(しかし、ブラック企業の文化内ではそれが普通の雰囲気になっている)、「他の人の和を乱さないように」しようと言われた時、その通りにするだろうか。自分はその通りにしない派なのだが、「その通りにする」とした場合でも、その人の不幸は(客観的に)目に見えている。「集団の和を乱さないように」という言葉は、それを言われた人の反論を許さないワードではないだろうか。「自分の思考や行動を変えて」みるというアクション自体に問題があると思えるからだ。
というのも、そもそも現状の自身の考え方が間違っているから、変えなければならないのだろうか。この点について、結構自分で熟考してみたが、最終的にどうしてもそうは思えないという結論に達した。「他の人の和を乱す」というのはネガティブな表現であり、ポジティブに言い換えることもできる。「独創性がある」とか、「信念が強い」とか。こう考えると、その人の気質であるから、別に直す必要性さえないのでは?と思う。
このようなことを言語化してみようと思ったきっかけとしては、シェアハウスでの共用スペースが深夜帯にも度々使われていて、しかも結構騒がしい6、という 悩み から端を発したことにある。私は他の住人に相談してみたのだが、一人は、「周囲が楽しめているから、皆の気持ちを削ぐようなことは言わず、和を乱さないようにしよう」だった。もう一人に相談したところ、かなりエレガントな解決方法を提示してくれた。さて、どう解決したでしょうか7。
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その反面、正面からぶつかっていきやすいので、往々にして、人間関係に亀裂が走りやすい。↩
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きっかけは自分では立ち直れないほどの失恋でした.. 社会人になってから経験してしまったので、会社に行きながら、失恋の傷心を癒すのは本当に辛かった。今は、転職して、新しい会社、新しい仕事にもなれ、気持ち的に大分楽になりました。↩
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前職では、上司にこのようなアドバイスを受け、いろいろ考えた結果、本音と建前を維持するための都合のいいワードなんだな、と思って辞めました。詳細は略。大企業においては、こういうものは処世術として必要なものではあると実感した一方で、ああ、自分はこんな使い分け無理だな、と悟ったのでした。↩
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こういうのを「出る杭はうたれる」というのだろうか。↩
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正確には直接民主主義が狭義の多数決の原理と結びついているという理解なんだけど、ここでは、多数決なら問題ないんじゃね、っていう例を出したかった。↩
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耳栓しててもうるさかったからね。↩
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その子が提示した解決法は、「深夜まで騒ぐとご近所迷惑になるから、夜遅くまで騒がないようにしよう」と皆が目を通すノートに書くこと(僕は自分で書くのでなく、その子に書いてもらった)、だ。(うちのところはslackなんてデジタルな方法でなく、ノートという超アナログ的な方法で、言いにくいことや、共有をしたりしています) 実は昨日の出来事なので、まだ結果として、改善したかどうかはわからないのだが、その後の推移を見守りたく、記事にしました。 外部のせいにするのは、基本的には良くない傾向にあるんだけど、今回は例外的に筋が効いていて妙手だなぁ、と個人的に感じた。↩